ターミナル法務とサナトロジー

 サナトロジー(死生学)は、尊厳死問題やターミナルケアなどを背景に、1970年代に現れた新しい学問領域で、死を見つめながらも、それを乗り越え、生を見つめなおすことをも目的とするものです。そんなサナトロジーに関する情報について、多くの方々と共有していきたいと思っております。

大阪・寝屋川の行政書士・マンション管理士・FPです。東京商工会議所主催ビジネス実務法務検定試験(R)1級・日商簿記1級・日心連心理学検定(R)特1級の3つの1級資格を保持する、おそらく日本で唯一のトリプル1級ホルダーの行政書士だと思います。多角的な視点から思考することができる総合的なサポーターを目指しています。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

(商工会議所認定 ビジネス法務エグゼクティブ(R)・日心連心理学検定(R)特1級認定者(第16号)・日商簿記検定1級認定者・FP)

大阪府行政書士会所属(会員番号4055)・大阪府行政書士会枚方支部所属

Website:http://sasakioffice.la.coocan.jp/

Blog:http://sasakihoumukaikei.blog.jp/(大阪・寝屋川:佐々木行政書士・マンション管理士事務所ブログ)

ターミナル法務

仏教哲学的サナトロジー:空と唯識の思想

 日本人になじみが深い仏教哲学的な、死生観をみてみたいと思います。

 まずは、その前提となる仏教の要の論理である「空」について考えてみます。

 なお、本稿は、社会学者小室直樹氏(1932-2010)や、花園大学教授佐々木閑氏などの、現代宗教学としての仏教学や、宗教社会学的な学説を参考にしたものに基づくものであることをあらかじめお断りしておきます。

 仏教及び宗教学としての仏教学は、非常に多くの宗派や学派があり、思想的にまことに多様で、各宗派や各学説によって死生観や空等の概念の捉え方も様々で、下記に述べるような死生観等が唯一の捉え方ではなく、あくまでも宗教社会学的な学説に基づく、たくさんある見解の中の一つであるということもあらかじめご了承頂ければと存じます。

 なお、下記に、伝統仏教各宗派の死生観や、その他スピリチュアルな死生観に関する詳細な研究報告が掲載されていますので、それらの点について、ご興味ある場合は下記をご参考頂ければと存じます。

http://www.circam.jp/reports/02/ (研究員レポート 宗教情報センター研究員藤山みどり氏著)

 例えば、パソコンの自作を考えてみます。

 パソコンを自作する場合、まず、パソコンショップにいって、マザーボードやメモリー、ハード・ディスク、ケーブル、コンセント、キーボード、ディスプレイなどの部品を買ってきます。

 この段階で、パソコンがそこに「ある」といえるでしょうか?

 普通に考えれば、部品があるだけでパソコンがあるとはいえないことでしょう。(空の状態)

 しかし、部品を組み立てると、パソコンとなり、パソコンはそこに「ある」ということになります。

 また、部品をバラせば、ただの部品に逆戻りということになります。結局、パソコンはそこにあるのでしょうか?

 部品を使って、組み立てればあるし、解体すればないということになります。

 つまり、「組み立てる」という因縁

(この場合の「因」は、組みたてようとする人間の意志、「縁」は、各種の部品を指します。)

によって、「あり」もするし、「ない」ともいえます。

 空は、確かに無ではあるのですが、

「因縁」によってパソコンという「有」を生みだすことができる

(空即是色・色とは「形あるもの」という理解でよいかと思います。)

ということになります。

 また、パソコンという実在は、解体すれば、また部品に戻り「無」となります。(色即是空)

 無でもなければ有でもない、無でもあるし、有でもある、

組み立てるという因縁を介在すれば、有にでも無にでもなるというのが、

空論であり、空論においては、全ての実在するかのごとくに見えるものは、このような空であるとします。

(という理解を、私はしております。)

 よって、「全ては、空であると認識する人間の識」

(「『意識』・『未那識(まなしき)』・『阿頼耶識(あらやしき)』」、

ユング心理学の用語に置き換えると、「『意識』・『個人的無意識』・『集合的無意識』」のようなものと仮にしておきたいと思います。

なお、ユング心理学については、拙稿、http://terminalsupport.blog.jp/archives/1585284.html をご参考頂ければと存じます。)

以外に実在は、ないとなるわけです。

 このように実在するものは、「識」以外にないにもかかわらず、

(ただ、この「識」も現象でしかなく、実体はなく「空」であり、夢、幻のようなものであり、究極的には、その存在も「空」とのことです。)

 実在すると思うがごとくの妄想をするために苦悩が生じ、煩悩が生じるので、この妄想を取り払えば、静寂を得られるということになります。

 なお、上記の阿頼耶識は、肉体が滅した後も残り、輪廻(六道輪廻)するとされています。

 しかし、阿頼耶識は、種子(人間の行為の痕跡)が蓄積する(これを薫習(くんじゅう)という)ことにより、

常に変化する(つまり無常)ので、唯一の実在である阿頼耶識もまた無常であり、常なるものは何も無いということになります。

(阿頼耶識もあくまでも種子により、変化するので永遠不変なものは何もないということになるからです。)

 ただ、阿頼耶識は、肉体が滅した後も残るものですから、あらゆるもののうち、最も「常(不変)」に近いということになります。

 よって、不変に近いものがあるがゆえに、人はこれを不変であると感じ、これを我と思い込むわけですが、この我に執着する心を未那識といいます。

 阿頼耶識・未那識はともに、顕在意識の下にある「無意識」といっていいものですが、阿頼耶識は、この未那識よりもさらに深いところにあるもので、まさに深層心理的な部分ということになるかと思います。

(なお、阿頼耶識のさらに奥に、けがれが無い無垢識・清浄識、あるいは真如である真我、如来蔵、心王である「阿摩羅識(あまらしき)」があるとする考え(天台宗等)、さらに奥に、「乾栗陀耶識(けんりつだやしき)」があるとする考え(真言宗)もあります。)

 ですので、諸行無常、諸法無我であることを知るには、深く深層心理にまで降りて行くというような修行(瞑想等)が必要になってくるということになるようです。

 なお、阿頼耶識に蓄積される種子は、生まれてこのかたのものから、生まれる前のずっと前のものも全て蓄積されており、もっといえば、この世界のはじめの原意識的なものまでが蓄積されているとされています。

 深層心理学者のユングの学説では、無意識を、「個人的無意識」と「集合的無意識」とに分けるのですが、「未那識」は、「個人的無意識」、「阿頼耶識」は、「集合的無意識」に似ているところがあるように思えます。

 唯識思想は、瑜伽行という瞑想的方法によって、心のあり方を変化させ、悟りに到達しようとすることが特徴のひとつといわれています。

 そして、その悟りの行く先が、六道輪廻から離れた、涅槃(ニルヴァーナ)寂静の境地ということになります。

 この境地に至ると、もう苦しみ多き六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)には、二度と帰ってこないとのことです。

 輪廻とは、宇宙には異なる複数の有情(六道の生命あるもの全て。)の世界があり、生きとし生けるものは、そのいずれかを繰り返し転生していくという考え方です。

 なお、前述いたしました「因縁」の、「因」とは、ものごとに変化をもたらす、「主要因」のことをいいます。

 「縁」は、「補助要因」です。
 
 そして、これらが相互連関(中観派の解釈:中観派の解釈では線型連関とはみない)し、全ての現象が作られるということになります。

 もし、パソコンに意思があれば、

「自分は、独立固定的な存在である」と、思っているかもしれないのですが、

実は、そうではなく、因縁によって

(つまり、因縁に因っているわけですから、独立して何かができる存在ではないということになります)

 あるときは、パソコンになっている状態、あるときはバラバラな部品の状態、あるいは仕掛品的な状態にすぎない、もともと独自固有・固定性のない「無我」「無自」「無常」であるということです。

 そうであるのに、

「自分は独立固定的な存在である」

とパソコンが思って妄想し、そこに執着すると、その執着は誤りであるということになります。

 そもそも、当のパソコンは、独立固定的な存在ではないわけですから、執着すべき原因(独自固有・固定性)がもともとないわけです。

 えてして、独自固有・固定性(そんなものはもともとはないですが)に執着すると、それが種子となり、

阿頼耶識に蓄積され、苦

(認識が真理からずれますので苦しむということになります。希望と現実が違うと悩みますね。そういうことだと思います。)

という結果を生むわけですが、

よく考えると、独自固有・固定性はなく、よって執着するものもなく、したがって本来は苦もないということになるわけです。

 擬人化されたパソコンがもし、独自固有・固定性に執着し苦しんでいる

(ずっと今の新品パソコンのままでいたいとか錆びたくないとか、古くなりたくないとかで悩んでいる。)

としたならば、

「自分は、単に因縁により、あるときはパソコン、あるときは、バラバラな部品、あるときは、仕掛品状態にあるだけの無常・無自・無我である。」

と心底気付き、それを体感できれば、悩む必要性もそもそもないということになります。

 このような、哲学的で難解な空論的な論理に比べ、

原始仏教は、もう少し素朴だったものと考えられていますが、諸行無常等をより精緻に説明するために、

後世の人達(とりわけ龍樹(りゅうじゅ:ナーガールジュナ))が、深い瞑想をしたうえで心の動きをとらえ、それを体系化・理論化して記述したのが空観(空論)です。

 空観をまとめあげたものが、龍樹著の『中論』で、龍樹を祖とする一派を、中観派といいます。
 
 中観派は、大乗仏教の教理を知的追求した一派で、学究者でもあったといえましょう。

 ですので、空論は、学問的といってもよく、その上より深く体感するためには、瞑想等の修行も必要になってくるため一層、庶民には理解困難となります。

 そのため、仏教伝来から今日まで、このような精緻な仏教論理等が庶民に正確に理解された時期はなかったのではないかと考えられています。

 とりわけ仏教伝来時には、詳細な翻訳書などもなく、全てテキストは漢語で書かれていたわけですから、文字の読み書きができなかった人が多かった当時、仏教論理を理解していたのは貴族等の一部の知識人だけということになります。

(ちなみに、当時の僧は国家公務員でした。)

 庶民に、仏教が浸透するのは、伝来から相当後の鎌倉時代ということになります。

 鎌倉仏教、とりわけ、阿弥陀信仰は、空論のような難解な論理を漢語で書かれたテキストで知ったり、特殊な瞑想法等を実践する必要性はありませんでした。

 阿弥陀信仰は、阿弥陀仏がいる仏国土(これを極楽浄土といいます。浄土とは、清浄で清涼な仏の世界。)に転生(輪廻の一種ですが、これを往生といいます。)すれば、次の段階にて解脱し成仏できるというものです。

 つまり、もう一度だけ、極楽というところに転生し、輪廻の中にいなければならないが、しかし、その次はもう輪廻しませんよ、という論理です。

 では、極楽往生するためにはどうすればいいのかですが、当初は、1.やはり修行する(六波羅蜜という修行)2.仏塔を信仰する3.念仏を唱えるの3つのことをしなければならないとされていました。

 が、後の阿弥陀信仰経典においては、3.だけ残り、つまり念仏さえ唱えていれば、極楽往生できるという形に変形されました。

 原始仏教は、現象及び心を冷静にまた科学的ともいえる態度で観察し、現象システムと心のシステムの関係を理詰めで明らかにしました。

 そして、自身の力で、苦の原因である煩悩を滅し、それを乗り越えて行こうという提案を行ったものだと思われますが、大乗仏教は、それさえも「空」、「幻想」だとします。

 そして、現象及び心のシステムの奥の院の奥の院は、理詰めで明らかにして知ることができない「神秘」だとし、本当の法則は、超越的な神秘であり、人智では計り知れない、それが「空」だとしています。

 ゆえに、大乗仏教経典「般若心経」等においては、神秘もみとめよう、祈ってみようというスタイルをとり、般若心経も、祈りの言葉、聖なる呪文である真言(羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶)で締めくくっています。

 このような論理から、大乗仏教には、真言や念仏等を重視し、それにより救われるという思想があるものと思われます。

 ただ、法然(浄土宗開祖)は、念仏を唱えるということは、修行だと考えていたようです。

 しかし、これを修行だと考えると、何万回唱えないと往生できない等ということにもなってきて、色々とノルマが出てきたりもします。

 対して、親鸞(浄土真宗開祖)は、念仏は修行ではないし、そもそも唱える必要もない。

 南無阿弥陀仏と心の中で願うだけでよく、阿弥陀仏と心の波長を合わせ、阿弥陀仏の主体性にまかせれば往生できるし、そうすることの方が正しい(絶対他力)とします。

 また、仏教では、基本的に解脱するためには、自身の努力で修行をしなければならない(自力本願)のに対して、

(ゆえに、解脱できる人とできない人という差が生じる。)

浄土真宗においては、阿弥陀仏の主体性により救済が決まるということですから、阿弥陀仏の前では皆平等、もちろん、悪人も善人も平等(悪人正機説)という論理となります。 

 いずれにしても、南無阿弥陀仏と心の中で念じればそれだけで救済される、しかも、悪人も善人も関係なく救済されるという仏教等

(阿弥陀信仰とともに、法華経を信仰する宗派も鎌倉期に現れ、こちらも空論や唯識論のような庶民には難解と思われるような理論を必要とするものではなかったため庶民に受け入れられていったものと考えられています。)

が登場するに至って、初めて庶民の中に、仏教信仰というものが根付くことになったといわれています。

 ちなみに、密教(真言宗)は、修行をするから仏陀(完全な悟りを開いた聖者)となるではなく、仏陀であるから修行ができる、すなわちもともとありとあらゆるものは仏陀であり、それを確信するだけでよしとします。

 金剛頂教によると、真言(マントラ)を唱え、心の中に仏があると念じ、手で印を結ぶことによって、この身このまま成仏する(即身成仏)とされています。

 空海が日本にもたらした真言密教は、仏教の最終進化形だったわけですが、ヒンドゥー教の要素も取り入れた神秘主義的な面もあり、加持祈祷により現世利益を叶えるという側面もあったため、貴族を中心に日本に広まりました。

 また、空海が全国で慈善事業を行い、庶民の心を掴んだこともあって、弘法大師信仰も生んだのですが、やはり、教義そのものが非常に難しいことと、密教というぐらいですから、その真髄は、師から弟子に秘密裡に伝播されるという性質があり、真の意味や技法が庶民に広まるということはなかったといえることでしょう。

 なお、本場インドの仏教は、密教がさらにヒンドゥー教化され、見分けがつかなくなった為と、イスラム勢力のインド侵入により、僧達が、周辺の東南アジアに逃避したため、12世紀頃に消滅するという憂き目にあいます。

 ただ、最近はインドでもまた、諸事情より仏教の勢力が広まってきているようです。

参考文献)『日本人のための宗教原論』 小室直樹著 徳間書店 2003年
『世界がわかる宗教社会学入門』 橋爪大三郎著 ちくま文庫 2006年
『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』 佐々木閑著 NHK出版 2014年

行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

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遺言の基礎知識:斜線で消した遺言書は無効

 遺言者が故意に、その遺言書の全体の、左上から右下にかけて、赤色のボールペンで1本の斜線を引いた場合、その遺言は無効となるという、最高裁の判断が出ました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151120-00000134-jij-soci
(ペンで斜線、遺言書無効に=「故意に破棄」と判断―最高裁) 

 判決文は、以下に全文が出ています。

 http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/488/085488_hanrei.pdf (但し、PDFファイル)

 遺言には、普通方式(自筆証書遺言・公正証書遺言・秘密証書遺言)と、

特別方式(危急時遺言・隔絶地遺言)とがあります。

 特別方式は非常に特殊なものなので、以下普通方式を中心に見ていきたいと思います。

 遺言者が、遺言書の全文・日付・氏名を「自書」して、

(ですので、パソコンで作成しプリントアウトしたようなものは無効となります)

これに捺印する方式で作成される遺言を、『自筆証書遺言』といいます。

 自筆証書遺言は、遺言内容を他人に知られることもなく、費用もかからず手軽ではありますが、ただ、形式が厳格に決まっていて、訂正をする場合なども、その厳格な形式によらなければ、無効とされます。

 赤のボールペンで、斜線を引いた場合はどうなるのかは、争いがあったわけですが、今回の判決で、この場合も無効になると判断されました。

 また、自筆証書遺言は、偽造変造隠匿の恐れが高く、実際にトラブルも多いため、これ以外の方法で遺言をされるという方も多いです。

 法律に精通していないと、無効になりやすく、また保管方法等にも気をつけないと、偽造変造隠匿の恐れも高いため、

自筆証書遺言を残したいという場合は、費用はかかってしまいますが、できる限り、法律等で厳格な守秘義務が課されている行政書士等の専門家によるサポートを受けるようにするとよいものと思います。

 次に、公証人が、公正証書の形にて作成した遺言を、『公正証書遺言』といいます。

 証人(推定相続人などはなれないなど、証人の資格要件が厳格です)2人が必要であったり、

公正証書作成手続に慣れていないと、手続が煩雑に感じられたり、

遺言内容を公証人や、行政書士等の作成サポートを受ける場合は、当該行政書士に確認してもらう必要があったり(ただ、これらの専門家には、法律で厳格な守秘義務が課せられています)

自筆証書遺言に比べて、費用がかかったりするデメリットはありますが、

偽造変造隠匿の恐れは、自筆証書遺言に比べ少なく、また、長年裁判官等を勤めた方がなさっている法律のプロ中のプロである、公証人がチェックして作成するものですので、無効となる可能性も非常に少ないものだと思います。

 手続が面倒だと感じられる場合は、もちろん、費用はかかってしまいますが、行政書士等の専門家による作成手続サポートを受けることもできます。

 なお、http://www.koshonin.gr.jp/osi.html#20 によると、

 平成26年中に、全国で作成された遺言公正証書は、ついに10万件を超え、10万4,490件に達し、前年に比べると8,470件の増加だったということです。

 次に、遺言内容を記載した証書に(パソコン等によって作成しプリントアウトしたものも可)、

遺言者が署名捺印し、これを封筒に入れ、証書に捺印したものと同じ印にて封印し、

この封筒を公証人と、2人の証人の面前に差し出し、公証人の署名捺印をもらうことで有効とされる遺言が、『秘密証書遺言』です。

 遺言内容を秘密にできますが、自筆証書遺言と同様、盗難紛失のおそれがある、資格要件の厳しい証人が2人以上必要である等のデメリットもあり、秘密証書遺言で遺言するというケースは、他の二つの普通方式の遺言に比べて少ないようです。

 なお、公正証書遺言以外は、偽造・変造防止のため、被相続人の死亡後に遺言書を発見した者は、裁判所の検認を受ける必要があります。

 また、その遺言書に封印がしている場合は、勝手に開封することができず、家庭裁判所にて開封手続を行なう必要があります。

 どの方式が望ましいのかは、ケース・バイ・ケースだと思いますが、

いずれの方式で行うにしても、無効とされたりしないよう、また偽造変造隠匿のリスクを軽減するためにも、より慎重に、できれば行政書士等の専門家によるアドバイスやサポートを受けたいところだと思います。

行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

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全人的ケアと行政書士等の士業者によるターミナル法務

 ターミナル(終末期)ケアでは、「全人的ケア」が必要だとされています。

 身体的痛みへのケアのみならず、精神的な痛み、社会的な痛み、スピリチュアルな痛み等、あらゆる痛みに対するケアのことを、「全人的ケア」といいます。

 社会的な痛みには、社会的つながりが隔絶されてしまうという痛みであったり、遺言・相続等に対する悩み等があることでしょう。

 なお、行政書士等の士業者は、このような社会的痛みに対するターミナルケアの一端を、遺言や相続等のお手伝いを行うということで担います。

http://www.circam.jp/reports/02/detail/id=3177

(「臨床宗教師」の可能性を社会のニーズから探る~「臨床宗教師」をめぐる考察 前編~ 宗教情報センターサイト)

 上記リンク先によれば、「両親と死別した場合、家族以外で悩みなどを相談するであろう人、頼るであろう人」として、「行政書士等の士業者に頼りたいという人」が、約1割いるという統計が出ています。

 この数値は、「医療関係者や行政に相談したい」という人の割合と同じで、さらに、宗教関係者の5.7%、介護関係者の5.5%、臨床心理士、カウンセラーなどの1.3%よりも高い数値です。

 死別後に生じる悩みの相談を、行政書士等にしたいと期待されている方の割合がかなり高いようです。

 この悩みの中には、遺言・相続等の手続的なことだけではなくて、死生学的な悩みも含まれているのではないかと私は思います。

 とするならば、行政書士等の士業者も、相続・遺言等のターミナル法務に関連する依頼を承る場合、カウンセリング的アプローチや死生学的アプローチを採ることは、有用だと思われます。

 カウンセリングマインドがある行政書士等なら、相続・遺言等に関する手続のお手伝いを行うに留まらず、さらに、社会的つながりがなくなってしまうという痛みに対するケアや、精神的な痛みのケアのお手伝いも、ささやかながらできることでしょう。

 これらは、人工知能が進化しても替わってやることができない、生身の人と人とのつながりによるもので、人工知能が人間に対抗できないところだと思います。

(本格的な精神的痛みに関するケアは、精神科医や、カウンセラー等の心理学者が担当することになります。)

 さらに、死生学に興味を持つ行政書士等ならスピリチュアルケアのお手伝いもできるかもしれません。

(本格的なスピリチュアルケアは、宗教者やスピリチュアルカウンセラー、スピリチュアルケア・ワーカー等が担当することになります。)

 なお、「スピリチュアルな痛み」とは、普遍的、実存的な意味を含んだ悩みであって、

「人は、なぜ生まれてきて、なぜ、なんの目的で人生を生き、なぜこういう生き方をしてきて、そしてなぜ死ぬのか?死んだ後はどうなるのか?」

といったような根源的疑問であって、

終末期や死別に遭う事態においてこのような疑問が生まれてきてしまい、この疑問によって苦悩するということです。

 若い時に、死生学などに親しんでいるのであれば、このような苦悩も若干緩和されるかもしれませんが、高度成長期やバブル期を生き、このような根源的疑問なんて、終末期や死別に遭う事態になるまで思ってみたこともなかったという人こそ、大きな悩みを抱えることになるやもしれません。

 行政書士等のクライエントがそのような悩みを口にしたとき、ただ黙って頷きながら聴くだけでも、スピリチュアルケアのお手伝いはできるかと思います。

 ただ、死生観などについて、今まであまり深い洞察をしてこなかった士業者側に対して、思いもよらないような死生観を、クライエントが語った場合、

士業者側が、心の中で「そんな話は信じられない。そんなことは絶対にあるわけがない。」等と思ってしまい、それが雰囲気的に、クライエント側に伝わり、ケアどころか不快感を与え、トラブルになる可能性もあるかと思います。

 サナトロジー(死生学)を通じて、世界に多々ある様々な死生観を学んでおくと、クライエントが語る思いもよらない死生観を、たとえ心底信じられなくても、また心底信じ切る必要もないのですが、

ただ、「そういう死生観もあるのだなあ。この方の死生観も尊重しなければ。」と思うことが出来るかもしれず、そのクライエントの想いを尊重する姿勢は、相手方にも伝わり、クライエントの死生観に真正面から向き合わずに、関係悪化を招くということもなくなるのではないかと私は思います。

 いずれにしても、終末期における身体的痛み、精神的痛み、スピリチュアルな痛み全てを、多職者(医療関係者、心理学者、宗教者、スピリチュアルカウンセラー、士業者等)がチームを組んで支えることを、「全人的ケア」といい、このようなケアを行うことをホスピスケア、緩和ケアといいます。

 士業者は、非常にドライな社会科学たる法律・会計・資産管理等の専門家で、そういう社会科学的学識の専門家である士業者は、スピリチュアルという言葉に胡散臭さを感じられるかもしれませんが、WHOの緩和ケアの定義にもこの言葉は出てきています。

(緩和医療:ウィキペディア)

(上記より以下引用)

「痛みやその他の苦痛な症状から解放する。
生命(人生)を尊重し、死ぬことをごく自然な過程であると認める。
死を早めたり、引き延ばしたりしない。
患者のためにケアの心理的、霊的側面を統合する。
死を迎えるまで患者が人生をできる限り積極的に生きてゆけるように支える
患者の家族が、患者が病気のさなかや死別後に、生活に適応できるように支える
患者と家族のニーズを満たすためにチームアプローチを適用し、必要とあらば死
別後の家族らのカウンセリングも行う。
QOL(人生の質、生活の質)を高めて、病気の過程に良い影響を与える。」

(引用終わり)

上記4つめの「患者のためにケアの心理的、霊的側面を統合する(integrates
the psychological and spiritual aspects of patient care;)」という部分がそうです。

 なお、「患者の家族が、患者が病気のさなかや死別後に、生活に適応できるように支える、患者と家族のニーズを満たすためにチームアプローチを適用し、必要とあらば死別後の家族らのカウンセリングも行う。」

という部分、

つまり死別後の相続業務等を行う段階でのクライエントに対しても、前述もしましたように、カウンセリング的アプローチや死生学的アプローチは有用だと思われます。

行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

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ターミナル法務とサナトロジー

  今回から、「ターミナル法務とサナトロジー」と題するブログをはじめます、大阪・寝屋川の行政書士・マンション管理士・ファイナンシャルプランナー(FP)の佐々木賢一と申します。

 東京商工会議所主催ビジネス実務法務検定試験(R)1級・日商簿記1級・日心連心理学検定(R)特1級の3つの1級資格を保持する、おそらく日本で唯一のトリプル1級ホルダーの行政書士だと思います。多角的な視点から思考することができる総合的なサポーターを目指しています。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、なぜ行政書士・FP等である私が、このようなブログを始めたかというと、以下のような理由からです。

 行政書士の仕事には、遺言作成のお手伝いや、相続に関する戸籍等の収集作業、預貯金解約、名義変更手続、遺産分割協議書や財産目録の作成、株式等の有価証券の名義変更、自動車の移転登録等の手続等をお忙しい依頼者に代わって行わせて頂くと言う業務があります。

 これらの業務は、人生の終末期に関わらせて頂く仕事で、私は「ターミナル法務」と呼んでいるのですが、このターミナル法務は、医療ではないけれども、ターミナルケアの一端を担う仕事であると思っています。

(ここでいうターミナル(終末期)は、医療でいうターミナルとは少し違い、もう少し広い意味を指しており、終活的な意味合いのものです。)

 であるなら、ただ単に、法務手続的なことのみを意識するのではなく、依頼者やそのご家族様の心情等もできる限り理解するためにも、サナトロジー(死生学)的なバックボーンも持つべきではないかということで、サナトロジーに対して以前から興味を持ち、関連書籍を読むなどの勉強をしてきました。

 また私は、行政書士やFPの相談業務において、事務的に相談に乗るだけではなくて、カウンセリングマインドを持って、相談者の心にもなるべく寄り添いたいということから、心理学を学び、日心連心理学検定(R)特1級試験に合格し、その資格認定をいち早く、全国で16番目に受けたのですが、サナトロジーがこの心理学とも非常に関連が深いということも興味を引き付ける要因の一つでした。

 このようなことから、サナトロジーに関する情報を、多くの人と共有したいということがこのブログを始めようと思ったキッカケです。

 なお、サナトロジー(死生学)は、尊厳死問題やターミナルケアなどを背景に、1970年代に現れた新しい学問領域で、死を見つめながらも、それを乗り越え、生を見つめなおすことをも目的とするものです。

 その射程領域は、「死生観研究」と、ターミナルケア現場、心理カウンセリング現場、教育現場での死生観教育などの実践の研究を行う「臨床死生学」とに大きく分かれるとされています。

 10年ほど前から、大学などの教育現場でも、サナトロジーの講義が多く行われるようになってきているようで、「死生学」という、ちょっと引いてしまいそうな名称にも関わらず、多くの学生が興味を持って学んでいるようです。

(波多江伸子の部屋!タナトロジー(死生学))

(上記より以下引用)

「福岡市内の大学で、非常勤講師として「タナトロジー(死生学)」を担当している。初めての講義の時、「こんな陰気な科目、だれも受講しないよね」と思いつつ教室に行ったら、あふれんばかりの受講生で驚いた記憶がある。それから4〜5年経つが、相変わらず受講生は多いままだ。」

(引用終わり)

 ちなみに、サナトロジーの語源は、ギリシア神話の死の神「タナトス(Thanatos)」です。そのため、タナトロジーと呼ばれる場合もあるようです。
 (死生学のある意味元祖でもあるフロイトも、「死への欲動」を「タナトス」と呼び、その学説の重要な要素としています。)

 「死生学」という「死」という字が入った名称では、ちょっと怖いという人もおられるかもしれませんので(^^;)、本ブログでは、なるべく「サナトロジー」と呼んで行きたいと思います。

 「ええ?若くて元気で、死のことなんて意識にカケラもないであろう、若者に、死生学みたいな暗くて縁起でもないものと学生が考えそうなものを教えているのか?受講生が集まるのかな?」と私も、はじめは思っていたのですが、かなりの人気がある場合もあり、また以下のように専攻課程や専攻研究所もできはじめているようです。

 https://www.youtube.com/watch?v=Hrn7L9_BTCU
(関西学院大学人間福祉学部人間科学科で学ぶ「こころ(スピリチュアリティ)」
について:死生学の講座に関する動画)

(上智大学HP「実践宗教学研究科死生学専攻(修士課程)」が2016年4月に開設
されます)

(大阪大学人間行動学講座臨床死生学・老年行動学)

(東北大学臨床死生学研究会)

(明治大学死生学研究所)

(東洋英和女学院大学大学院死生学研究所)

 上記、東洋英和女学院大学大学院死生学研究所の公開講座では、「「臨死体験の語り」とその語り」「「チベットの死者の書」と六道輪廻図」」なども講義されていて、一般の方々の興味も引きそうなテーマの講座だと思います。

 統計数理研究所は、1953年以来5年毎に「国民性調査」を行っているのですが、そのなかで「あの世について信じるか」という項目があります。

 1958年の統計では、信じるが20%、信じないが58%でした。

 2013年の統計では、これが逆転して、信じるが40%、信じないが33%となっています。

 1958年と言えば、経済成長著しい時代でしたので、そんな死生学的なことよりも、いかに経済的に成功するか、それだけを考え、それだけが目標で、それだけが目的であるという人生観を持つ人が多かった時代だったのかもしれません。

 ところが、そういう人達も、死生学的な意識を持つことが少なかったゆえに、いざ自分が老いを迎えると、直面する死に対するイメージや考え方を持ちにくいため、揺れ動く死生観の中で、悩みまたそれに翻弄されることになるやもしれません。

 だからこそ、サナトロジーが強く求められる時代になっているのかもしれません。

 そんな時代の要請により、スポットライトが当たりつつあるサナトロジーに関する情報について、多くの方々と共有していきたいと思っておりますので、今後ともなにぞとよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m

行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一
(商工会議所認定 ビジネス法務エグゼクティブ(R)・日心連心理学検定(R)特1級認定者(第16号)・日商簿記検定1級認定者・FP)
大阪府行政書士会所属(会員番号4055)・大阪府行政書士会枚方支部所属

Website:http://sasakioffice.la.coocan.jp/Blog:http://sasakihoumukaikei.blog.jp/(大阪・寝屋川:佐々木行政書士・マンション管理士事務所ブログ)
 
対応可能地域-大阪府中部・北部:寝屋川市・門真市・守口市・大東市・四條畷市(四条畷市)・東大阪市・大阪市・枚方市・交野市(これ以外の地域も対応可能な場合があります。ご相談くださいませ。)

業務依頼・講演、講義、遺言・相続・終活、死生学、デス・エデュケーション、グリーフワーク、メンタルヘルスケア、管理職、士業者のためのカウンセリング技法等の出張教室、研修、執筆依頼・取材等のお問い合わせは、E-MAIL fwkt0473@nifty.com まで

 
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