トランスパーソナル心理学とは、自己を超越した心理をとらえようとする心理学です。 

 一般の心理学では、人間の成長に関して、自我の確立、自己の実現の段階までを対象とする場合が多いのですが、

トランスパーソナル心理学はその先の個を越えた、他者や宇宙との同一性までも射程とするものです。

 現代心理学に、スピリチュアルティの要素を加味したものがトランスパーソナル心理学といえるかもしれません。

 トランスパーソナルの思想家も数多いるのですが、今回は、トランスパーソナルの代表的思想家である、ケン・ウィルバー(1949~)の、

「アートマン・プロジェクト」思想に基づいた内容を概観していきたいと思います。
 
 「アートマン・プロジェクト」思想は、現代発達心理学と東洋思想との統合を試みる思想で、

主に、誕生直後(「プレパーソナルな段階」:個性確立以前の段階)から

自我の確立、自己の実現の段階(「パーソナルな段階」:個性確立の段階)までは、

発達心理学・臨床心理学などの成果をもとに、

さらに「トランスパーソナルな段階」(個を超える段階)からは主に、

東洋思想(インド哲学、仏教哲学等)をもとに論を展開しています。

 では、以下で、「アートマン・プロジェクト」思想に基づく人間の発達の段階をみていきたいと思います。

① プレローマ段階
 
 プレローマとは、ユング派心理学者ノイマンの用語を用いたもので、「混沌状態」という意味を表し、新生児が、物質的世界に融合している状態を表します。

 外界と自己の区別がつかないために、空間も時間もない、ある意味、仏教でいう「空」の状態ともいえます。

 ただ、ウィルバーは、覚者が感じる「空」(アートマン・プロジェクト思想では、「アートマン」といいます。)は、

知性や霊性を含んだものであり、新生児が感じるプレローマにはそのようなものは含まないため、両者は区別する必要があると述べています。

② ウロボロス段階
 
 ウロボロスも、ユング心理学によく用いられる用語で、自身の尻尾を加えたヘビであり、神話に登場するものです。自己完結的で未分化の状態を表しています。

 幼児は母親、とりわけ母乳を得るための乳房とそれを吸う自身の口の周りを主に世界だと感じており、自他の区別はおぼろげにしかついていないからです。

③ テュポーン段階
 
 テュポーンも神話上のもので、半人半蛇の生き物です。文字通り、ヘビから人間になりかけている状態を表しています。

 幼児は、布団を噛むと痛くない、自分の指と噛むと痛いといったような経験をすることにより、自他の区別がつくようになり、身体自我が現れ、自身とそれ以外の物質的環境を区別するようになるとのことです。

④ メンバーシップの自己段階

 自身が生きる社会の言語を習得し、その言葉により、現象のつながりを認識することによって見えてくる世界を現実とみることを学び、それにより社会の一員として生きていくことができる能力を身につける段階です。

 動詞に時制が含まれる言葉によって、過去-現在-未来の区別もつくようになり、時間感覚や空間感覚もよりはっきりとしてくることになります。

 ただ、そうしてより明確になってくる時間感覚によって、過去を後悔し、未来を不安に思う感覚も芽生えてくることになります。

 母親の腕に抱かれていればよかった安楽の時期は過ぎ、緊張と孤独にさいなまれる世界へといざなわれることになります。

⑤ 心的・自我段階

 これまでのおぼろげな自我感覚とは異なり、より明確な「自我意識」が芽生えてくる段階です。

⑥ ケンタウロスの領域
 
 ケンタウロスも、ギリシア神話に登場する上半身は人間、下半身は馬の半人半獣の生き物で、上半身(意識)が、下半身(身体・無意識等)をコントロールし、あるいは両者が調和した心身一如的な段階です。

 マズロー等の人間性・実存心理学などでいう、「自己実現」等に相当するもので、ここまでは現代発達心理学の射程範囲内ということになり、これ以降は、東洋思想的な領域となってきます。

 なお、この段階までを「粗(グロス)領域」、

これ超えるこれ以降を、「微細(サトル)領域」・「元因(コーザル)領域」と、アートマンプロジェクト思想では呼びます。

 「微細(サトル)領域」・「元因(コーザル)領域」は、僧や聖職者などが修行して、あるいは偶発的に生きている間に経験する場合もあれば、死してその直後に体験する場合もあるとのことです。

⑦ 微細領域 
 
 心身を超えた領域で、下位微細と上位微細にわかれるとのことです。

 下位微細はさらに、星気体(アストラル)レベル、霊的(サイキック)レベルにわかれ、

星気体レベルでは、体外離脱や幽体旅行等と呼ばれる超常現象が起き、

霊的レベルでは、透視・予知等の超常現象が起きるとのことです。

 時空をも超越した状態となるようです。

 上位微細では、天使や仏、神々、諸霊が現れたり、宗教的直感を得たり、青・白・金色の光や目がくらむような輝きを見たりするような現象が起きるとのことです。

 中有(死と再生の間。日本仏教でいう死から四十九日の間)の過程を示した、

チベット仏教のニンマ派の経典「チベット死者の書」でも、同様の死後生観が記述されており(というよりも、アートマンプロジェクト思想が、「チベット死者の書」の記述を基礎にしたものだと思いますが)、

また生きながらにして、死後生の世界に入り、詳細にその様子を記述したエマヌエル・スウェーデンボルグ(1688-1772)の死後生観や、

各種の臨死体験報告などにも似ているところがあるものと思います。

⑧ 元因領域

 この領域も、上位領域と下位領域の二つに分かれます。

 統一性がよりいっそう進み、最終的に「統一性そのもの」へと至るとのことです。

 前述した上位微細では、天使や仏、神々、諸霊等が複数現れたわけですが、

このようなユングの言葉を借りると「元型的(先天的にある心の型、イメージでかつ全ての人が共通してもつもの)」な存在が、

下位元因領域では、その源である唯一かつ究極の「神」へと収斂され、

さらに自身もその神とそもそもは同一の存在であったことが明かされ、意識も、「光輝」たる神とのより一層高いレベルでの同一化を果たすとのことです。

 そして上位元因領域では、一切の形を超越し、形なき意識・限りなき光輝へと融合していくとのことです。

 ただ、「形なき意識・限りなき光輝」を見るものと見られるものという、二元性は残存しており、その点が最終段階のアートマンとの違いであるとのことです。

⑨ アートマン段階

 アートマン段階は、『般若心経』の「色即是空、空即是色」の世界となるとのことです。 
 
 個とは、海面を走る波であり、その幻想ともいえる波、うたかたの夢ともいえる波が、大海原(形なき意識・限りなき光輝)に溶け込み静まり、

波は無となり、ただ静かなる海だけがあるというイメージかもしれませんが、正確には、この世の言葉では表しづらい、形の無い純粋な目覚めの領域、「あるがままの真実=真如」の世界となります。

 ここに至り、アートマンプロジェクト思想でいう人間成長の全サイクルが完結するとのことです。

 西平直京都大学大学院教育学研究科教授の説に基づけば、

人は、自らのうちにアートマンがあることに気づかないまま、それを追い、それを求めて次から次へと、新しいプロジェクトを試みては、各段階には制約があるため失敗し、

ようやく次の段階へと進んでも満足せずに、究極のアートマンにめぐり合うまで、アートマンプロジェクトは繰り返されるとのことです。

 そして、求めても求めてもたどり着けなかったその境地は、死の直後にめぐり合うことになり、

このアートマンの段階に止まることができれば、それが仏教などでいう「解脱」、輪廻からの脱却となるわけですが、意識はこの状態に耐え切れず、多くは再び降下しはじめるとのことです。

 そしてまた輪廻する道を選び、新たな肉体へ宿っていくことになります。

 そうして誕生するとともに、自らこそがアートマンであることを忘却し、またプレローマ段階からはじめ、個を発達させながらも、個と対極にある究極のアートマンを追い求め、「アートマン・プロジェクト」を試み続けることになるといいます。 

 それが、ウィルバーのアートマンプロジェクト思想が説く、『人生の姿』とのことです。

 なお、前述しましたように、臨死時や死直後にトランスパーソナルな領域に入るだけでなく、

生きている間にこの領域に進み、超常現象やアートマン的なものとの合一体験をする場合もあります。

覚りを求めて瞑想、禅などを行った結果、そうなる場合もあれば、そのように積極的に求めたわけでもないのに自然とそうなる場合もあります。

 その必要性があるときに、自然と生じる現象なのかもしれません。

 脳には、頭頂葉と後頭葉の境界にある各回という部位があるのですが、これを刺激すると(ここでいう刺激とは実験装置を使って行うもので、当然日常的にできるものではありません。)体外離脱体験をすることがわかっています。

 脳は、体外離脱をするためのボタン(脳回路)を用意しているとのことです。

 実験装置で刺激を与えなくても、人口の3割ぐらいは、一生に一回程度ですが、自然に体外離脱を体験するともいわれています。

 なぜ、脳にこのような機能があるのかについて、日本の脳科学界のトップランナーである、池谷裕二東京大学大学院薬学系研究科教授は、

「他者の視点で、自分を見て、自己修正する、そういうことに関係する機能ではないか。」との説を挙げています。

 また、脳の言語野というところのすぐ傍に、宗教的な体験をする脳回路というものがあります。「神の回路」等と呼ばれる部位です。

(かしこい脳の使い方- interview with 池谷裕二 – 平成27年12月6日存在確認:上記より以下引用)
 
「宗教的な体験をする脳回路というのが、やっぱりあるんです。それは、左側の言語野のすぐ横です。そこを刺激すると神様が見えるんです。キリスト教の人だったら、キリストやマリアが見えたり、仏教徒だったら仏さんが見えたり。宗教を持っていない人でも、敬虔でおごそかな気持ちになる。そういう回路を人間の脳は用意しているので、宗教がどこにでもあるということを僕はなんとなく納得できます。」

(引用終わり)

 池谷教授によれば、上記のように神を感じるボタンが人間の脳の中にはあるということです。

 このボタンが押されると、脳が神の世界を見せるのか、それとも、神の世界にワープしてしまうのかいずれかなのかはわかりませんが、

シュタイナー思想的にいえば、

「本来、物質界を写すカメラである「脳」に、アストラル界や霊的(精神的)世界を写し取るオプション機能もついていて、その機能のスイッチを知らずして押してしまうことにより、こういう現象が起きるときがある。」

ということになるのかもしれません。

 なお、脳科学的には、なぜ脳にこのような機能があるのかは解明されていません。

 ただ、そういう回路があるということだけはわかっているようです。

  いずれにしても、このように生きている間にも、超常現象や宇宙との合一体験をする場合

(これをトランスパーソナル心理学では、「スピリチュアル・イマージェンス(スピリチュアリティの突如の発現)」と呼びます。」)

があるわけですが、

求道者のようにそれを自ら求めたものはまだしも、自然と急にそのような体験をしてしまうと戸惑ってしまうことでしょう。

  スピリチュアル・イマージェンスにより、危機感を持ったり混乱したりすることを、スピリチュアル・イマージェンシーといいます。

 人に言えば、笑われたり、家族に言えば、メンタルヘルス不調と疑われたりして、無理矢理に治療を受けさせられたケースも多々あるようで、また誰にも言わず、体験を胸にしまったままの方も多々おられるようです。

 ターミナル期の患者や死別体験をした人達も、スピリチュアル・イマージェンスを得たり、それにより、スピリチュアル・イマージェンシーとなったりする場合があるのではないかと思います。
 
 寄り添う人や援助者は、スピリチュアル・イマージェンス体験をした人達に傷を与えないよう、話をありのままに受け止めることが肝要かもしれません。

 なお、ターミナル期でもなく、死別したわけでもなく、とりわけ何も無いのに、スピリチュアル・イマージェンス体験を得る人もいますが、その場合も、話をありのままに受け止める人の存在が必要となるものと思われます。

 1994年に改訂された、アメリカ精神医学会の新診断基準であるDSM-Ⅳでは、スピリチュアル・イマージェンシーを、メンタルヘルス不調とは区別して記載するようになっています。

 ただ、メンタルヘルス不調と誤診されるスピリチュアル・イマージェンシーもあれば、スピリチュアル・イマージェンシーを伴ったメンタルヘルス不調もあるので、慎重な態度は必要とされます。

 トランスパーソナル心理学の生みの親の一人ともいえるスタニスラフ・グロフ(1931~)によれば、

「スピリチュアル・イマージェンスを内なる体験と認識し、外の現実での体験と混同していない。」

という点が、スピリチュアル・イマージェンシーであるか否かの重要な基準になるとのことです。

 スピリチュアル・イマージェンスの世界と、日常の世界との区別がしっかりとつき、地に足がついていて生きていれば(これをグラウンディングあるいはグラウディングといいます。)よいということかもしれません。

 なんらかの理由により、生きながらにしてスピリチュアル・イマージェンスの世界に誘われた場合、そこから、アートマンプロジェクト思想でいう下降の道を降りていき、日常の世界に舞い戻ることも、心の成熟に必要なことなのかもしれません。

 求道の道にあえて入り、自らスピリチュアル・イマージェンスの世界を見る場合もありますが、その高揚感から、自分を特別視し、他人を蔑視し、排除するというのも心のバランスを欠くものと思われ、この場合もやはり、グラウンディングの観点が必要になってくるものと思われます。

 アートマンプロジェクト思想でいうアートマンへの向かう道を上昇の道、色(日常世界)即是空の道とすれば、そこから日常に戻る道は、下降の道、空即是色の道といえるものと思われます。

 日常世界は、空の完全な顕現であり、ゆえに全て平等に大切に扱われなければならないとウィルバーはいいます。これを知る下降の道は、肯定の道ともいえることでしょう。

 そうして、色即是空を知り、そこから肯定の道を降りてきた人は、

街を歩く人々の姿、小雨降る寒い日、よく晴れた青空と飛ぶ鳥、公園で遊ぶ子供達、ベンチに座り、コーヒーを飲みながら新聞を読む初老の人、

こんな見慣れたなにげない風景も全て、空の顕現(空即是色)であることも知り、

ささいな日常にも慈しみの気持ちを頂き、魂を込めて生きていくことができるといいます。

 日本におけるトランスパーソナル心理学の第一人者、諸富祥彦明治大学文学部教授によれば、そのように日常を生きることが、心の成長、魂の成熟にとって何より大切な意味を持つとのことです。

 禅宗には、禅の悟りまでの過程を、牛をテーマとし、十枚の絵で表した『十牛図』というものがあります。

 以下でいう牛とは、人の心あるいは悟りを指し、牛を探す童子は、修行者だとされます。

①「尋牛(じんぎゅう)」 - 牛を探そうと志すこと。

 悟りがどこにあるか見当もつかず途方にくれる図となっています。

②「見跡(けんせき)」 - 牛の足跡を見つけること。足跡とは、経典、古人の公案などを意味します。

③「見牛(けんぎゅう)」 - 牛の姿をわずかにかいまみること。

 優れた師と出会い「悟り」がわずかながら見えた状態。

④「得牛(とくぎゅう)」 - 力まかせに牛をつまえようとすること。

 悟りの実体をなんとか得たが、まだ自分のものとできていない状態。

⑤「牧牛(ぼくぎゅう)」- 牛を飼いならすこと。

 悟りを自分のものとするための修行を行う状態。

⑥「騎牛帰家(きぎゅうきか)」 - 牛の背中に乗って家に帰ろうとすること。

 悟りを得て、日常に戻ろうとする状態。

⑦「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)」 - 家に戻って、牛のことも忘れてしまうこと。

 修行者の中にこそ悟りはあり、消えたのではないということに気づく状態。

⑧「人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)」 - 全てが無に帰一し、忘れ去られること。

 悟りを得た修行者自身も、特別な存在などではないという、自然な本来の姿に気づく状態。

⑨「返本還源(へんぽんげんげん)」 - 原初的な、自然美が顕現すること。

 悟りは、このような自然の中にあることを示しています。

⑩「入鄽垂手(にってんすいしゅ) 」-

 最初は、童子であった修行者が、布袋和尚の姿となり、街へ出て、他の童子と遊ぶ姿を示し、他の人を導くことを示しています。

 この『十牛図』は一見すると何を意味しているのかわからないものだと思われますが、

本稿をお読み頂ければ、『十牛図』は、アートマンプロジェト思想と類似的なことを意味しているというのがお分かりいただけるのではないかと思います。

 なお、普通の平凡な生活者の中に、意識の最高レベルを見た、発達心理学者で精神分析家であったエリク・H・エリクソンの考えのように、

スピリチュアル・イマージェンスを体験しなくても、日常の生活を通じて、全ての日常に慈しみの気持ちを頂き、魂を込めて生きていくこともできるものとも思います。

 よって、全ての人がスピリチュアル・イマージェンスを得ようとそればかりに積極的に集中する必要もないことでしょう。

 とりわけ、10歳代~20歳台の若い人が日常をおろそかにし、スピリチュアル・イマージェンスのほうにばかり目を向けるということになると、

それこそグラウンディングの観点が欠けてしまうことになるのではないかとも思われます。

参考文献)
『魂のライフスタイル』西平直著 東京大学出版社 1997年
『トランスパーソナル心理学』岡野守也著 青土社 2000年
『トランスパーソナル心理学入門』諸富祥彦著 講談社現代新書 1999年
『ブルーバックス 進化しすぎた脳』池谷裕二著 講談社 2007年
(ウィキペディア:十牛図 平成27年12月6日存在確認)

行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

(商工会議所認定 ビジネス法務エグゼクティブ(R)・日心連心理学検定(R)特1級認定者(第16号)・日商簿記検定1級認定者・FP)

大阪府行政書士会所属(会員番号4055)・大阪府行政書士会枚方支部所属

Blog:http://sasakihoumukaikei.blog.jp/(大阪・寝屋川:佐々木行政書士・マンション管理士事務所ブログ)
 
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