今回は、死と生をめぐる心理学的な思想を概観していきたいと思います。

  まずは、フロイト的な死生観ですが、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトによれば、生きるとは喪失の連続であり、常なるものは何も無く、無常ではあるが、だからといって生が無駄であるということではなく、生は無常で有限であるからこそ、意味があるとします。

 学校なども、修業年数があって、永遠に続くものではなく卒業があります。修業年数があるおかげで、「卒業までにこれをやらなければならない。友人との学生生活にも限りがあるので、思いっきり楽しまなければ。」という想いも出てくるのかもしれません。

 また、修業期間が終わると卒業があるわけですが、そこに様々な別れと新たな出会いというドラマが生まれることにもなります。

 永遠にいつまでも通う学校となると、「これは今やらなくてもいい。学生生活は永遠に続くから、今別に友人と濃密な関係を熱心に作る必要もないだろう。」となってしまうかもしれませんし、別れと出会いのドラマも生まれません。

 修業年数という有限性があるから、学生生活も輝いてくるのかもしれません。

 ただ、一方で、お茶やお琴などの習い事などは、修業年数などは特になく、いつまでも続くもので、こちらにはある意味、無限性があるといっていいのかもしれません。また、修業年数の制限のない習い事などは、じっくりと芸を磨くことができ、また変わらぬ仲間との友情を長期に渡って築くことができ、これはこれでいいものではないかと思います。

 前回の投稿で述べましたように、ロバート・リフトン氏によれば、人はいつでも「生きている実感」を強く感じようとする一方で、生の有限性を超えた無限の何かとつながることで、「永遠の生命」を得ようともし、その両方の思いの中で揺れ動くとのことですが、「有限性」と「無限性」を共に欲する心理が人間の中にはあるのかもしれません。

 臨床的には、死を否認することによって、抑鬱等のメンタルヘルス不調となる場合があります。死別体験をし、悲嘆反応が生じることは、逆に対象の価値を認識することにつながることになります。

 次に、分析心理学(ユング心理学ともいいます)の創始者、カール・グスタフ・ユングの死生観についてみていきたいと思います。

 その前に、ユング心理学における、意識・無意識の分類について確認しておきたいと思います。

 心には癖が、もうすこし固い言い方をすると、「心の動きには習性ないしパターン」があるとユング心理学では考えます。

 ユング心理学では、意識できる心の動きの習性を「自我」、意識できないそれを「コンプレックス(一般的に使われる劣等感という意味ではありません。)」・「元型」と呼んでいます。

 「コンプレックス」は、後天的な生活上で獲得した、もとは意識化されていた「心の習性」なのですが、忘れてしまったり、抑圧したりして無意識の中に閉じ込めたものです。ただ、無意識の中に生きており、意識できない心の癖として現実事象に表れるものとなります。

 なお、コンプレックスが閉じ込められている無意識領域を「個人的無意識」といいます。

 対して「元型」は、後天的なものではなく、生まれながらにして持つ、生得的な「心の動きのパターン(つまり、「型」)」でありかつ意識化できないものです。

  穏やかなよく晴れた空を見ると、誰に教わったわけでもなく、意識したものでもないのに、「さわやかな気持ち」が沸いて出てきたりすると思いますが、これこそが「元型」です。

 この元型のおかげで、例えば初日の出を見たときの「荘厳」な気持ちを意識せずとも他人と共有できたりするわけです。

 そして、「元型」的な無意識領域を、「集合的無意識」といいます。

  ユングは、人生における「自分らしさ」の追及を「個性化」と呼んでおり、死はそれの最終段階であるとします。また、死によって、個人の意識が、集合的無意識に融合するともとれる考え方を示しています。仮にそうなら、仏教上の「唯識論」に似ているところがあるのではないかと思います。

 この世界は、心が見せる幻であり、集合的無意識を海にたとえると、意識や個人的無意識は、海の上を走る波のような「現象」であり、この波のような現象が収まると、波立たない静かな海となりますが、死とはそういうものであり、波(意識や個人的無意識)は、穏やかな海(集合的無意識)の中に溶け込んでいくというようなイメージかもしれません。

 ユングは、臨死体験を経験していて、その経験と上記のような考え方をあわせると、死後生の存在があることを匂わせていますが、ただあくまでも、それは心的現実であるとの態度から離れていませんので、死後生を明確に現実として捉える宗教的死生観やスピリチュアル死生観とは区別される、心理学的死生観の範囲内に留まっているものと思われます。

 なお、死を無に帰するものとすると、ユング心理学的な臨床的見地からすると、死への不安、恐怖感に押しつぶされそうになるため、集合的無意識に内在する、死と再生の宗教的あるいは神話的イメージに補償されながら、死に向かう必要があるとされています。

 現代日本においても、死生観的なことを考える人も増えてきたとは思うのですが、ただニュートン力学的な近代科学的論理的思考のもとで生きてきたような人は、実証できない輪廻転生があったり、天国や地獄があったりするような、宗教的死生観は、全肯定できないかもしれません。

 また、ニヒリズム的死生観(死んだら何も無いと考える死生観)も、むなしすぎて、元気なときはそれでもいいかもしれないのですが、歳老いて弱ってきたら、そんな考えは許容できなくなり、両者(宗教的死生観・ニヒリズム的死生観)の間を揺れ動くという人は多いかもしれません。

 そのような人達にとっても、アカデミズムの範疇内にあり、理屈も通っている心理学的死生観は許容しやすく、不安を癒す可能性があるということで受け入れられる場合があるかもしれません。

 なお、宗教的な死生観は、信者にその死生観を信じることを求めることになるのですが、スピリチュアルな死生観(個人主義的な死後生の肯定)は、個人の内的確信の立場を貫くものであるので、他人に信じることを求めるものではありません。

 信仰にも確信が持てないし、ニヒリズム的死生観も嫌だという人にとって、心理学的死生観等の学問に由来する死生観以外にも、そういうスピリチュアルな死生観も有力な選択肢となりえるかもしれません。

 但し、スピリチュアルな死生観は、しっかりとした学問的理論がない場合もあり、個人的確信に根差すので不安定である、つまり他人との共有がしにくい考え方ではあります。

 なお、心理学的死生観においては、死後生の存否には関与しないという立場を採っています。そうしないと、それ以上踏み込むと、学問的死生観の境界を越えて、宗教的死後生実存論に踏み込むことになるからです。

 ユング心理学における死後生的な考えも、前述したように心的現実として扱うという態度を崩していませんので、心理学の範疇に留まっており、宗教的な死後生実存論に踏み込んでいるとまではいえないものと思われます。

 このように、心理学的死生観では、死後生の存否には関与しないので、死と生とを区別でき、死の直視と生の意味と価値の認識を同時に達成することができるとされています。 

 死後生があるとする宗教的あるいはスピリチュアルな死生観では、死後生があるわけですから、いわば死なないといってもいいので、死と生の区別がつかず、死を否認し、受容せず、ゆえに、死の直視と生の意味と価値の認識を同時に達成することが難しくなる可能性があるとの考えもあります。

 ただ、キューブラー=ロスも、当初は、宗教的・スピリチュアル的な死生観による、死後生実存論は死の否認であると断言していたようなのですが、後年、患者の臨死体験の報告などを受け、死後生を肯定し、考え方を変え、宗教的伝統を、死を受容する共同体として評価し、宗教は死を否認するものではなく、受容するものであると考えていたようです。

 なお、臨死体験とは、臨床的に死に至ったと判断されていた人が蘇生し、蘇生後に語る体験のことをいい、その各々の体験には、以下のような共通のものが見られるとのことです。

 医師から死の宣告を受けたあと、いいようがない心の静けさと安らぎを感じ、その後、ブーンというような音を聞き、暗く長いトンネルを抜け、体外離脱をし、先に亡くなった縁者に会い、まばゆい光に包まれ、自分の人生の回顧(ライフレビュー)のパノラマを見ることになり、しかし、「ここにいてはいけない」等の声を聞き、現世に引き戻され、死後世界との境界を見て、蘇生するというようなパターンです。
 
 ユング心理学者で、元文化庁長官であった河合隼雄氏によれば、このような臨死体験の共通ストーリーは、古来からある神話や宗教上の死後生に関する記述との類似性があるとのことです。

 死後生を肯定する立場からすると、人のライフサイクルは、身体を超えた「魂」のライフサイクルとなります。

 哲学者である西平直京都大学大学院教育学研究科教授によれば、このようなライフサイクルを提唱している理論家の一人として、ルドルフ・シュタイナー(1861- 1925)を挙げています。

 魂のライフサイクルという観点から考えると、自己の人生を、現世を越える超越的な角度から視野におさめることができるものと思われます。

(東京大学グローバルCOE 死生学 冬季セミナー(20080113) 講義概要 『20世紀心理学の死生観──フロイトからキューブラー=ロスまで』 堀江宗正(聖心女子大学)著:但し、PDFファイル)
『臨床心理学の世界』 菅佐和子他著 有斐閣アルマ 2005年
『無意識への扉をひらく―ユング心理学入門〈1〉』 林道義著 PHP新書 2000年

 行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

(商工会議所認定 ビジネス法務エグゼクティブ(R)・日心連心理学検定(R)特1級認定者(第16号)・日商簿記検定1級認定者・FP)

大阪府行政書士会所属(会員番号4055)・大阪府行政書士会枚方支部所属

Blog:http://sasakihoumukaikei.blog.jp/(大阪・寝屋川:佐々木行政書士・マンション管理士事務所ブログ)
 
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