ターミナル法務とサナトロジー

 サナトロジー(死生学)は、尊厳死問題やターミナルケアなどを背景に、1970年代に現れた新しい学問領域で、死を見つめながらも、それを乗り越え、生を見つめなおすことをも目的とするものです。そんなサナトロジーに関する情報について、多くの方々と共有していきたいと思っております。

大阪・寝屋川の行政書士・マンション管理士・FPです。東京商工会議所主催ビジネス実務法務検定試験(R)1級・日商簿記1級・日心連心理学検定(R)特1級の3つの1級資格を保持する、おそらく日本で唯一のトリプル1級ホルダーの行政書士だと思います。多角的な視点から思考することができる総合的なサポーターを目指しています。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

(商工会議所認定 ビジネス法務エグゼクティブ(R)・日心連心理学検定(R)特1級認定者(第16号)・日商簿記検定1級認定者・FP)

大阪府行政書士会所属(会員番号4055)・大阪府行政書士会枚方支部所属

Website:http://sasakioffice.la.coocan.jp/

Blog:http://sasakihoumukaikei.blog.jp/(大阪・寝屋川:佐々木行政書士・マンション管理士事務所ブログ)

民俗学的サナトロジー

 民俗学者の赤田光男帝塚山大学名誉教授は、死者が先祖となる過程について、「蘇生」「絶縁」「成仏」「追善」という4要素を経て、そのたびに儀礼・供養を繰り返し、それにより死者は先祖となっていくとしています。

 命終した人の蘇生を願う儀礼が、「蘇生儀礼」で、親族が空の方向や井戸の底を覗き見しながら、死者の名を呼び、霊魂を肉体に呼び戻すといったような儀礼が各地に見られるようです。

 儒教の招魂儀礼に似ているものと思われます。
 
 葬儀の出棺の際に死者が使用していた茶碗などを門口で割る、近隣の死者の報を耳をふさいで聞かないようにするといったような儀礼が「絶縁儀礼」で、これは、死者との関係を絶とうとするものです。

 蘇生儀礼で、死者の霊魂が肉体に戻らないとわかると、愛慕の念が恐怖の念に変わるというところから、このような儀礼が生まれたものと思われます。

 次に、葬儀を終えた後、死者を無事あの世に送り出す儀礼を「成仏儀礼」といい、日本では、仏教儀礼として行われる場合が多いようです。

 燕が、無事死者をあの世へ送ってくれるようにと、墓地に燕の模型を置いたりするといったような伝承も聞かれます。

 そして、いわゆる法要、法事等を「追善儀礼」といいます。

 忌明け以降の、百か日・一周忌・三回忌・七回忌などの年忌法要を指し、三十三回忌~五十回忌まで行われる場合が多いとされています。

 この追善儀礼を経て、「弔い上げ」と呼ばれる、死者に対する祭祀の終了を意味する儀礼が行われる場合もあり(三十三回忌又は五十回忌をもって弔い上げとする場合が多いようです)、

 これにより、死者が先祖となるとする習俗が多いと民俗学的には考えられています。

 このように長い期間をかけて儀礼を行うことにより、死後直後の死者の荒ぶる霊魂が静まり浄化され、神聖な先祖へと昇華するとの考え方に基づくものだとされています。

 また、百か日・一周忌・三回忌にも、儒教の影響が見られますが、中国仏教に儒教が取り込まれ、それが日本にも伝わったからだと考えられています。

 七回忌以降の年忌法要は、「十三仏(冥界の審理を行うとされる13の仏)信仰」等の影響を受けた、日本独自のものと言われています。

 なお、仏教の多くの宗派では、死後49日まで、死者は、「中陰(中有)」という状態にあり、この世とあの世をさ迷うと考えているようです。

 この間、死者は、7日ごとに、閻魔などの10名の冥界の王・総司達の審理を受け、49日に、輪廻先が決定されるとされます。

 死後7日目の「初七日」から、49日目に行われる「七七日(なななのか:四十九日、満中陰ともいいます。)」、

100日目に行われる「百か日」までの忌日法要は、遺族が故人の成仏を祈り、極楽等の浄土(清浄で清涼な仏の世界)に赴けるよう願う、故人に善を送る追善供養です。

 「七七日」に忌明け法要を行い、納骨埋葬するという日程が通常のようです。

 なお、「百か日」は、卒哭忌(そつこくき)ともいい、哭(な)いて過ごした日々を、卒(お)えるという意味があり、もとは、儒教の『礼記(らいき)』という書物に由来があるもので、前述したように、これを仏教が取り込んだものだとされています。

 深い信心を持った人は、命終とともに、すぐに浄土に赴くため、中陰はないとし、追善も必要なしとする仏教の宗派もあります。

 ただ、その場合でも、報恩感謝のため、また故人を偲び、さらに人生を見つめなおす等の意味合いから儀式が行われる場合もあります。

 また、これらの儀式は、死者の霊を慰めるといったような宗教的意味、民俗学的意味、故人の逝去を告知し、別れの儀式を行うといった社会的意味だけでなく、臨床心理学的意味、すなわち、残された者の悲しみを慰めるといった、グリーフ・ケア(悲嘆のケア)としての役割もあるものと考えられています。

 次に、アイヌの民俗学的死生観をみていきたいと思います。

 アイヌの人達は、死者は、地下にあると信じられていたポクナモシリと呼ばれる他界に赴き、現世と全く同じ生活をし、しばらくの間そこに留まり、また再びこの世に誕生するという死生観をもっていたようです。

 なお、神々が住まう天にあるという世界は、カムイモシリ、地にある人間が住む現世の場所は、アイヌモシリと呼ぶとのことです。

 民俗学的には、大きくわけて、二つの他界(あの世)観があるとされています。

 ひとつは、死者の霊が近隣の山にいて、子孫を見守り、盆正月のような時期に家に帰ってくるという「山中他界観」です。

 そのような死者の霊が留まる山として、恐山(青森)、高野山(和歌山)などがあるとされています。

 もうひとつは、山ではなくて、海に死者の他界があるとする、和歌山の補陀落渡海(南海のかなたにある浄土)観や、沖縄のニライカナイ(東海のかなたあるいは、他の伝承によっては地界又は海底にあるとされる異界)観のような、「海上他界観」です。

 なお、ニライカナイは、琉球列島各地の伝承に伝わる異界で、ニライカナイの最高神である東方大主(あがりかたうふぬし)が治める神界であり、理想郷であり、豊穣や生命の源であるとのことです。

 伝承によると、人の魂は、ニライカナイからやってきて、死を迎えるとニライカナイに帰っていき、祖霊となり、また死後七代経つと、祖霊は神となり、守護神となって村に戻ってくるとのことです。

(ただ、伝承によっては異なる内容となっている場合もあります。)

 そのため、沖縄では今も、祖霊、守護神つまり、神となる、あるいは神となった祖先を非常に敬い、祖先崇拝を非常に大事にしているとのことです。

 他にも、天上他界観や、地下他界観(日本神話における黄泉、前述のポクナモシリ等)などもありますが、

民俗学的他界観は、次元の異なる空間世界に行くというのではなく、人里離れたこの世の果てに、他界があるという考え方がベースになっているものが多いようです。

参考文献): 『人は死んだらどうなるのか?』 斉藤弘子著 言視舎 2015年
『手にとるように民俗学がわかる本』岸祐二著 かんき出版 2002年
 『図解雑学 こんなに面白い民俗学』八木透・正岡伸洋編著 ナツメ社 2005年

  行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

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ミュージック・サナトロジー

 旧約聖書のサムエル記上16章23節に、「ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルの心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。」とあります。

 古くから、音楽には心の痛みを癒す力があることが知られ、重要なケアとして用いられていたことが伺えます。

 音楽によって、終末期や臨死期にある患者の精神的、肉体的苦痛を緩和する療法は、古代ギリシャの神殿や中世の修道院などで実践されていたとのことです。

  米コロラド州の施設で学資を稼ぐために、アルバイトとして老人介護に当たっていた、当時学生だった、現在は著名ゴシック・ハープ奏者で、歌手のテレーズ・シュローダー・シェーカー(Therese Schroeder=Sheker)氏は、

心身ともにもがき苦しむ、臨死の患者に対してとっさに、彼の頭を抱きながら、グレゴリオ聖歌を歌ったところ、その患者は穏やかな表情となり、安らかに旅立っていきました。

 臨死の患者を前に、とっさにとったこの経験から彼女は、おそらく、まるで神話の世界かのような神聖な何かを感じ取り、非常に深いインスピレーションを受けたのでしょう。

 そこで、彼女はこのようなターミナル音楽療法的な臨床死生学を、「音楽死生学(Music-Thanatology)」と名づけ、1970年代前半から活動をはじめ、

1990年代初頭に、その全体的なプロジェクトである、「魂の休息の杯」(The Chalice of Repose Project)と呼ばれるプロジェクトを確立させたとのことです。

 現代でも、世界各地で、音楽死生学に基づく音楽療法を行う人達がいて、その中でも、アメリカの「魂の休息の杯」(The Chalice of Repose Project)は、

30年以上にわたって、ホスピス・緩和ケア、在宅ケアの場で、終末期・臨死期にある、患者やその家族に、ハープ音楽と祈りとしての歌を提供する活動(このような活動は、「リラ・プレカリア(Lyra Precaria:祈りのたて琴)」と呼ばれる場合があるようです。)を続けてきたそうです。

 専門のトレーニングを受けた音楽療法家が祈りを込めながら、患者の好きな音楽を、

(好きな曲であっても、場合によっては、悲しい思いを誘発することもあるので、思い入れのない、患者のなじみの無い音楽を、先入観を持ちにくいラテン語などで歌い、奏でるという方針を採る場合もあるようです。)

患者の呼吸を気遣いながら、患者の容態と呼吸に合わせるように静かにゆっくりと奏でる、

このようなターミナル音楽療法の効果として、不眠の改善、呼吸の安定、表情の緩和、心理的不安の軽減、心拍数及び体温の好転、

さらにこのような身体面への効果のみならず、

死への恐怖の軽減、孤独感・疎外感の融和、関係性の修復及び強化、許し・和解など、スピリチュアルケア的な効果についても、報告されているとのことです。

 ハープの音色が、安らぎを与えることは、脳波からも確認されたという報告例もあるようで、また患者だけではなく、その家族の苦悩をも和らげる効果があるとの報告例もあるようです。

 日本では、音楽死生学に基づくターミナル音楽療法はまだ一般的でなく、

諸外国で報告されているような有効性が、日本でもあるのか、文化的違いによる影響はあるのか等の信頼のおける臨床実証及び研究発表が待たれるところですが、

日本においても、すでにターミナル音楽療法の実践をされておられる方々はもちろんおられ、やはり、患者の表情が穏やかになり、呼吸状態が安定したり、痛みが和らぐこと等の効果のある臨床例が報告されているようです。

 音楽の持つハーモニーが、極度のストレスによる精神的な動揺を鎮め、心的な調和を回復する一助になるとのことです。

 また、アルフォンス・デーケン上智大学名誉教授によれば、ターミナル音楽療法は、前述のような、身体的・精神的治療効果だけではなく、

音楽により描き出されるイメージが、心を閉ざしがちになる患者との対話のきっかけとなって、深みのあるコミュニケーションを生み、思いがけない出会いにつながるなど、心の交流の輪を広げる効果もあるとのことです。

 現在のターミナル音楽療法は、聖書の伝統に則って、聖歌や祈祷歌、子守歌、童謡を、ハープの独奏により演奏する場合が多いようです。

 このように、ただ一人のために奏でられる音楽を、「プリスクリプティヴ・ミュージック」といい、また「リラ・プレカリア(祈りのたて琴)」では、これを「パストラル・ハープ」ないし「パストラル・ミュージック」と呼んでいるようです。

 その他の曲や、ギター、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ、オルガン、木管楽器、金管楽器、日本琴等の日本の楽器等のハープ以外のその他の楽器で行われた場合や、CDで音楽を聴いてもらう等の場合も、効用があるものと思われ、多様な形態での研究・実践・音楽療法家教育等が行われることを期待したいと思います。

 音楽は、心の最も奥深いところ、ユングの言葉を借りれば、集合的無意識に響き、神聖な世界の扉を開け、そこに分け入ることができるものなのかもしれません。

 ターミナル音楽療法の実践においては、それがより一層際立つこととなり、その臨床の場は、奏でられる音楽から溢れ出るような、まばゆい光と祈り、そして言葉に表しようがない愛に抱かれた、荘厳な神話の世界そのものとなります。


参考文献)
http://lyraprecaria.kibounoie.info/ (『リラ・プレカリア(Lyra Precaria)は祈りのたて琴』)
http://www.nhkso.or.jp/library/kaleidoscope/3488/ (N響 『死に逝く人を癒す音楽の力死を超えて未来に向かって心を開く』アルフォンス・デーケン)
http://www.47news.jp/47topics/ningenmoyou/40.html (47NEWS 地球人間模様『ハープを奏でて最後を看取る』)
http://www.hospicecare-hiroshima.org/modules/pico/index.php/content0017.html (広島ホスピスケアをすすめる会『霊的な痛みとハープによる祈りとしての音楽』
http://www.hospicecare-hiroshima.org/modules/pico/index.php/content0020.html (広島ホスピスケアをすすめる会『人(患者さん)と音・音楽』)
https://www.youtube.com/watch?v=O_K0a9KP9u0 (Hospice Music Thanatology http://CNS-CARES.org)

 行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

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心理学的死生観

 今回は、死と生をめぐる心理学的な思想を概観していきたいと思います。

  まずは、フロイト的な死生観ですが、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトによれば、生きるとは喪失の連続であり、常なるものは何も無く、無常ではあるが、だからといって生が無駄であるということではなく、生は無常で有限であるからこそ、意味があるとします。

 学校なども、修業年数があって、永遠に続くものではなく卒業があります。修業年数があるおかげで、「卒業までにこれをやらなければならない。友人との学生生活にも限りがあるので、思いっきり楽しまなければ。」という想いも出てくるのかもしれません。

 また、修業期間が終わると卒業があるわけですが、そこに様々な別れと新たな出会いというドラマが生まれることにもなります。

 永遠にいつまでも通う学校となると、「これは今やらなくてもいい。学生生活は永遠に続くから、今別に友人と濃密な関係を熱心に作る必要もないだろう。」となってしまうかもしれませんし、別れと出会いのドラマも生まれません。

 修業年数という有限性があるから、学生生活も輝いてくるのかもしれません。

 ただ、一方で、お茶やお琴などの習い事などは、修業年数などは特になく、いつまでも続くもので、こちらにはある意味、無限性があるといっていいのかもしれません。また、修業年数の制限のない習い事などは、じっくりと芸を磨くことができ、また変わらぬ仲間との有情を長期に渡って築くことができ、これはこれでいいものではないかと思います。

 前回の投稿で述べましたように、ロバート・リフトン氏によれば、人はいつでも「生きている実感」を強く感じようとする一方で、生の有限性を超えた無限の何かとつながることで、「永遠の生命」を得ようともし、その両方の思いの中で揺れ動くとのことですが、「有限性」と「無限性」を共に欲する心理が人間の中にはあるのかもしれません。

 臨床的には、死を否認することによって、抑鬱等のメンタルヘルス不調となる場合があります。死別体験をし、悲嘆反応が生じることは、逆に対象の価値を認識することにつながることになります。

 次に、分析心理学(ユング心理学ともいいます)の創始者、カール・グスタフ・ユングの死生観についてみていきたいと思います。

 その前に、ユング心理学における、意識・無意識の分類について確認しておきたいと思います。

 心には癖が、もうすこし固い言い方をすると、「心の動きには習性ないしパターン」があるとユング心理学では考えます。

 ユング心理学では、意識できる心の動きの習性を「自我」、意識できないそれを「コンプレックス(一般的に使われる劣等感という意味ではありません。)」・「元型」と呼んでいます。

 「コンプレックス」は、後天的な生活上で獲得した、もとは意識化されていた「心の習性」なのですが、忘れてしまったり、抑圧したりして無意識の中に閉じ込めたものです。ただ、無意識の中に生きており、意識できない心の癖として現実事象に表れるものとなります。

 なお、コンプレックスが閉じ込められている無意識領域を「個人的無意識」といいます。

 対して「元型」は、後天的なものではなく、生まれながらにして持つ、生得的な「心の動きのパターン(つまり、「型」)」でありかつ意識化できないものです。

  穏やかなよく晴れた空を見ると、誰に教わったわけでもなく、意識したものでもないのに、「さわやかな気持ち」が沸いて出てきたりすると思いますが、これこそが「元型」です。

 この元型のおかげで、例えば初日の出を見たときの「荘厳」な気持ちを意識せずとも他人と共有できたりするわけです。

 そして、「元型」的な無意識領域を、「集合的無意識」といいます。

  ユングは、人生における「自分らしさ」の追及を「個性化」と呼んでおり、死はそれの最終段階であるとします。また、死によって、個人の意識が、集合的無意識に融合するともとれる考え方を示しています。仮にそうなら、仏教上の「唯識論」に似ているところがあるのではないかと思います。

 この世界は、心が見せる幻であり、集合的無意識を海にたとえると、意識や個人的無意識は、海の上を走る波のような「現象」であり、この波のような現象が収まると、波立たない静かな海となりますが、死とはそういうものであり、波(意識や個人的無意識)は、穏やかな海(集合的無意識)の中に溶け込んでいくというようなイメージかもしれません。

 ユングは、臨死体験を経験していて、その経験と上記のような考え方をあわせると、死後生の存在があることを匂わせていますが、ただあくまでも、それは心的現実であるとの態度から離れていませんので、死後生を明確に現実として捉える宗教的死生観やスピリチュアル死生観とは区別される、心理学的死生観の範囲内に留まっているものと思われます。

 なお、死を無に帰するものとすると、ユング心理学的な臨床的見地からすると、死への不安、恐怖感に押しつぶされそうになるため、集合的無意識に内在する、死と再生の宗教的あるいは神話的イメージに補償されながら、死に向かう必要があるとされています。

 現代日本においても、死生観的なことを考える人も増えてきたとは思うのですが、ただニュートン力学的な近代科学的論理的思考のもとで生きてきたような人は、実証できない輪廻転生があったり、天国や地獄があったりするような、宗教的死生観は、全肯定できないかもしれません。

 また、ニヒリズム的死生観(死んだら何も無いと考える死生観)も、むなしすぎて、元気なときはそれでもいいかもしれないのですが、歳老いて弱ってきたら、そんな考えは許容できなくなり、両者(宗教的死生観・ニヒリズム的死生観)の間を揺れ動くという人は多いかもしれません。

 そのような人達にとっても、アカデミズムの範疇内にあり、理屈も通っている心理学的死生観は許容しやすく、不安を癒す可能性があるということで受け入れられる場合があるかもしれません。

 なお、宗教的な死生観は、信者にその死生観を信じることを求めることになるのですが、スピリチュアルな死生観(個人主義的な死後生の肯定)は、個人の内的確信の立場を貫くものであるので、他人に信じることを求めるものではありません。

 信仰にも確信が持てないし、ニヒリズム的死生観も嫌だという人にとって、心理学的死生観等の学問に由来する死生観以外にも、そういうスピリチュアルな死生観も有力な選択肢となりえるかもしれません。

 但し、スピリチュアルな死生観は、しっかりとした学問的理論がない場合もあり、個人的確信に根差すので不安定である、つまり他人との共有がしにくい考え方ではあります。

 なお、心理学的死生観においては、死後生の存否には関与しないという立場を採っています。そうしないと、それ以上踏み込むと、学問的死生観の境界を越えて、宗教的死後生実存論に踏み込むことになるからです。

 ユング心理学における死後生的な考えも、前述したように心的現実として扱うという態度を崩していませんので、心理学の範疇に留まっており、宗教的な死後生実存論に踏み込んでいるとまではいえないものと思われます。

 このように、心理学的死生観では、死後生の存否には関与しないので、死と生とを区別でき、死の直視と生の意味と価値の認識を同時に達成することができるとされています。 

 死後生があるとする宗教的あるいはスピリチュアルな死生観では、死後生があるわけですから、いわば死なないといってもいいので、死と生の区別がつかず、死を否認し、受容せず、ゆえに、死の直視と生の意味と価値の認識を同時に達成することが難しくなる可能性があるとの考えもあります。

 ただ、キューブラー=ロスも、当初は、宗教的・スピリチュアル的な死生観による、死後生実存論は死の否認であると断言していたようなのですが、後年、患者の臨死体験の報告などを受け、死後生を肯定し、考え方を変え、宗教的伝統を、死を受容する共同体として評価し、宗教は死を否認するものではなく、受容するものであると考えていたようです。

 なお、臨死体験とは、臨床的に死に至ったと判断されていた人が蘇生し、蘇生後に語る体験のことをいい、その各々の体験には、以下のような共通のものが見られるとのことです。

 医師から死の宣告を受けたあと、いいようがない心の静けさと安らぎを感じ、その後、ブーンというような音を聞き、暗く長いトンネルを抜け、体外離脱をし、先に亡くなった縁者に会い、まばゆい光に包まれ、自分の人生の回顧(ライフレビュー)のパノラマを見ることになり、しかし、「ここにいてはいけない」等の声を聞き、現世に引き戻され、死後世界との境界を見て、蘇生するというようなパターンです。
 
 ユング心理学者で、元文化庁長官であった河合隼雄氏によれば、このような臨死体験の共通ストーリーは、古来からある神話や宗教上の死後生に関する記述との類似性があるとのことです。

 死後生を肯定する立場からすると、人のライフサイクルは、身体を超えた「魂」のライフサイクルとなります。

 哲学者である西平直京都大学大学院教育学研究科教授によれば、このようなライフサイクルを提唱している理論家の一人として、ルドルフ・シュタイナー(1861- 1925)を挙げています。

 魂のライフサイクルという観点から考えると、自己の人生を、現世を越える超越的な角度から視野におさめることができるものと思われます。

(東京大学グローバルCOE 死生学 冬季セミナー(20080113) 講義概要 『20世紀心理学の死生観──フロイトからキューブラー=ロスまで』 堀江宗正(聖心女子大学)著:但し、PDFファイル)
『臨床心理学の世界』 菅佐和子他著 有斐閣アルマ 2005年
『無意識への扉をひらく―ユング心理学入門〈1〉』 林道義著 PHP新書 2000年

 行政書士・マンション管理士・1級建設業経理事務士 佐々木 賢 一

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